モノマネと自意識と誤読の狭間で

「フラッシュ」12月9日号では、さらに詳細に「禁止令」の内容を報じている。同誌によると、織田さんの事務所が各局に送った文書は、

「今後貴局放送において、山本氏をはじめ織田の物真似をパフォーマンス内容とするタレントを使用した番組企画をする場合には(中略)当社の承諾を得ていただきますように、強く要望する次第です」
「山本氏の本件物真似は、織田の人格権、肖像権、ひいて名誉を侵害し違法な不法行為となる可能性が極めて高い行為であると言わざるを得ません」

と、かなり高圧的にも見える内容だ。

興味深いので裁判所の見解を知りたい所ではあるけど、織田さんと山本さんは記号的に似せてはいるが実際のところ似ては居ないし、モノマネされること自体で社会的に悪い評価を受けるという事はないだろう。

ただ、織田さんの気持ちとして、モノマネされている事実をネガティブに受け止めていると言うのは全く分からないという訳ではない。恐らく個人の特徴を誇張してモノマネし笑いを誘っているのが、自らを滑稽に風刺している様に感じられるのだろう。

とはいえどもやっぱり芸は芸だし、同一視されたりする事はあり得ないので大目に見るべきというのが期待される振る舞いなんだろうけど、それを正面から裏切っているのでこの件で織田さんの世間のイメージは悪くなってしまったみたい。山本さんも意地を通して真似を続けても一緒にイメージ悪くなるだけなのでもう辞めた方が上策なんじゃないだろうかと思ったり。

ここでブログ論に繋げたりするのだけど、ネガコメだ誤読だってのも同じだよね。自分の記事をネタに違う話されたり、ただの自分の意見を主張されたり、とんちんかんなコメントだったりと色々な見方をされる訳だけど、それらが公に出たからと言って、別にそれが絶対的な見方になった訳じゃない。

でも、人間はそれが堪え難いんだと思う。別個の事とは考えられないし、周囲がその意見を正しく扱ってくれるか(関係ない意見を関係ない意見として、とんちんかんなコメントをとんちんかんなコメントとして)自信が持てないしで、泰然自若にしてればいいのについ正したくなったりしてしまう。

でも、それは織田さんの振る舞いと同じか、むしろよっぽど矮小な事だろう、という様な事を考えた。