ニュースは要約でしかなかった

新聞社が赤字になったとか、記者が裏を取らないとか、ネットが普及して相対的に新聞社の価値が毀損して来ているのだけど、そもそも新聞ってニュースの概要を手っ取り早く知るという事が一番で、要は速報性と要約機能で売ってたんだと思うのね。

その点、今では速報性ではネットに完敗だし、要約っぷりではテレビにすら負けてしまって、今や原典に近いニュースソースみたいな役割に甘んじている。

でもここに自信を持てないのは、正直ニュースソースは新聞社の強みではなく通信社にあるし、虎の子の記者クラブ制度だって警察を初めとする公官庁の発表なんかが直接ネット詳細に文書公開てしまったらそれまでなんだよね。それがいつ始まるのかも正直わからない。

結局新聞社に残されているのは情報のハブ機能のみ。でもこれも遺産みたいな物だ。全てのニュースソースがネットに出てしまったらもうこれは個人か数人の団体、もしくはCGMみたいな仕組みに簡単に取って変わられてしまう。

ここで、のこるは綿密な取材を元にした記事ってことになるんだろうけど、正直これで新聞社が食べて行けるはずは無いんだよね。かといって新聞社が国の庇護の元に生き残るなんて事が出来るはずも無く、本当に危なくなったら再建は難しい。

本気で八方塞がりなんじゃないかな?

モノマネと自意識と誤読の狭間で

「フラッシュ」12月9日号では、さらに詳細に「禁止令」の内容を報じている。同誌によると、織田さんの事務所が各局に送った文書は、

「今後貴局放送において、山本氏をはじめ織田の物真似をパフォーマンス内容とするタレントを使用した番組企画をする場合には(中略)当社の承諾を得ていただきますように、強く要望する次第です」
「山本氏の本件物真似は、織田の人格権、肖像権、ひいて名誉を侵害し違法な不法行為となる可能性が極めて高い行為であると言わざるを得ません」

と、かなり高圧的にも見える内容だ。

興味深いので裁判所の見解を知りたい所ではあるけど、織田さんと山本さんは記号的に似せてはいるが実際のところ似ては居ないし、モノマネされること自体で社会的に悪い評価を受けるという事はないだろう。

ただ、織田さんの気持ちとして、モノマネされている事実をネガティブに受け止めていると言うのは全く分からないという訳ではない。恐らく個人の特徴を誇張してモノマネし笑いを誘っているのが、自らを滑稽に風刺している様に感じられるのだろう。

とはいえどもやっぱり芸は芸だし、同一視されたりする事はあり得ないので大目に見るべきというのが期待される振る舞いなんだろうけど、それを正面から裏切っているのでこの件で織田さんの世間のイメージは悪くなってしまったみたい。山本さんも意地を通して真似を続けても一緒にイメージ悪くなるだけなのでもう辞めた方が上策なんじゃないだろうかと思ったり。

ここでブログ論に繋げたりするのだけど、ネガコメだ誤読だってのも同じだよね。自分の記事をネタに違う話されたり、ただの自分の意見を主張されたり、とんちんかんなコメントだったりと色々な見方をされる訳だけど、それらが公に出たからと言って、別にそれが絶対的な見方になった訳じゃない。

でも、人間はそれが堪え難いんだと思う。別個の事とは考えられないし、周囲がその意見を正しく扱ってくれるか(関係ない意見を関係ない意見として、とんちんかんなコメントをとんちんかんなコメントとして)自信が持てないしで、泰然自若にしてればいいのについ正したくなったりしてしまう。

でも、それは織田さんの振る舞いと同じか、むしろよっぽど矮小な事だろう、という様な事を考えた。

価値観の発露って恥ずかしく無い?

「いい歳して漫画読んでるなんて、恥ずかしくない?」と言われた。

別に恥ずかしいと思った事はない。元々、人の目を気にする方でも無いし。

楽しんでる人には娯楽である。それを否定する事は誰にも出来ないはずであって、それが恥ずかしいかどうかは当事者の問題でしかない。

こういう人(恥ずかしくない?っていう人)は大抵言いたいだけなので、反応を見たいのはわかるけど「そうですね」が大正解だと思う。結局理屈じゃなくてただの価値観の押し付けにすぎないのだかから、相手をするとなんか残念な感じになる。同じステージに立たないのが大人の対応ですね。

単純にいって価値観というのは時代と経験から形成される。時代による影響というのは、そういう風潮があるからそうなのだと考えてしまう一種の洗脳だ。これは自分できちんと考えて結果を出す様になれば意外とあっさり捨て去る事が出来ると思う。その結果漫画は恥ずかしいというならそれは大変興味深い意見だと思う。

もうひとつの経験はここでいえば元漫画フリークが何かに気付いて辞めた、というパターンか。漫画やゲーム等はある年代以降の人は大抵通る道なので、こういう人は結構増えて来ている様に思う。要は私はもう卒業しましたよという奴。

ゲームも漫画も確実に時間を消費するので、楽しめないなら辞めた方が絶対に良いが、相当に親しいなら分からなくも無いが、人に自分の価値観を披露する事は慎重に行われるべきだと思う。

ベストカップル賞

もっとも、福原選手のコミュニティが約800人なのに対し、錦織選手は約8000人と、10倍ぐらい差があることはある。

特に興味も無いくせに芸能ネタに食いつくなと自分に突っ込んだりしたりしなかったりで結局自重しては居ないのだけど、錦織君のmixiコミュは8000人も人が居るんですね。錦織君はなんか爽やかそうなので、そういう所が単純に人気があるのかもしれないけど、愛ちゃんの10倍ってのは予想外だったな。

卓球もそうだけど、日本ではテニスってプロスポーツとしてはマイナーでゴルフより人気で言えば劣るんじゃないかなと思うんだけど、日本人で結果を出している人の人数から考えると、日本人は基本的にテニスが好きなのかもしれない。そういう点では、やっぱりというか明らかに何だけど、中国は卓球の人気が日本とは比べ物にならないぐらい大きいののだと思う。だから中国で活躍していた福原愛に比べると当然錦織誰?見たいな状態だろうし。

そもそも、日本人も中国人も勝手な事言ってるけど、取り上げられているコメントは一部の人どころか一人の人の意見だよね。そんなに極端な反応してる人はまず居ない訳で、最近は論調より極端な意見をピックアップして話題を煽ってるだけで、どうかなぁとも思わなく無いけど、これからマスコミが取り上げるのは極端な一人の意見という感覚が浸透すればそれはそれで問題ない気もする。それによって報じ方も変わってくるかもしれないし。この辺りのメディア感覚というのは大きく変化を遂げていくのかもしれない。

そんな事はともかくとして、この二人はここ最近ではベストカップルなんじゃー無いだろうかと思う。私は少し嬉しい。

はてなブックマーク2

はてなブックマークがリニューアルしたらしい。セキュリティとか、UIとか、機能とか、方向性とか、色々話題に事欠かないようだけど、そろそろ落ち着いて揺り戻しがあるんじゃないかなと思う。

個人的にははてなの話題の多様化には期待していて、ある程度普遍的な話題ばかりになっても今のはてなユーザーの雰囲気からするとそれなりのリテラシーは保たれるんじゃないかという期待も持っている。

もちろん、私も人の事はいえないし、既に目も当てられないほど衆愚ですという人も居るとは思うんだけど、可能性としてはてな村といわれるぐらい分かりやすいナード村が市民権を得るというのは単純に面白いのではないかと思う。

その、ナードというかオタクというかそういう趣味的な物には根には共通点があると思う。一つは興味がある物にしか興味が無いし、興味が無い物には興味が無い事。あたりまえの事なんだけど、これってすごく住み分けがしやすいと思うんだよね。だから偏っていた方が面白いっていうけど、偏りがある程度無くなって色が薄くなっても、一角として存在感があればそれで良いんじゃないだろうかと思っている。

でも、会社としてはてなが指向している物はよくわからない。カテゴリ増やしたから普遍性が増すというのは間違ってないと思うけど、あのカテゴリはつまんないよなーと思う。もっと趣味的になると面白いんじゃないかな。今のカテゴリじゃまるでニュースサイトだし。そこはセンス無いなと思った。

猫に躊躇無く寄って行ける心理

すべての人にというわけではないのだが、自分は猫好きなやつ、特に道ばたで猫を見つけたら「猫ちゃゃゃゃゃぁぁぁぁぁん」って言って駆け寄っていくやつが嫌いだ。

自分は犬が好きだが、そこまで駆けていくこともないし、たとえばデートの途中でそんなことをされると軽くムっとくる。

いずれかが何かを好む事が嫌いというのは、一つの物を一方が好きで一方嫌いだったりするのとは桁が違うぐらいに複雑な齟齬なのでパートナーを選ぶのには大きな要素だと思うので、まぁよく考えてください。

それはともかくとして、私は猫好きなので*1なでる事ができるなら、なでたりしたい派なのだが、同時に増田の気持ちも分からなくも無い。猫の事になると理性的にアホになるとでも言おうか、寛容性が異常に増し公平性に欠ける部分が目立つからだろう。親バカみたいな物だ。

で、何故猫好きが猫に躊躇無く寄って行けるかという話なんだけど、これは猫に近づいても、逃げられるか受け入れられるかの2択な上に逃げられるのが基本のため一切のリスクがないからだ。

例えば、犬に駆け寄っても噛まれるリスクというのは通常ほとんど勘案しないが*2、犬が喜んで抱きついてくる可能性は大きい。これは服が汚れるし、倒されたり、爪で皮膚が引っ掻かれる*3等複数のリスクがある。さらにあの人類のパートナーとも言われる犬にさわられるのをいやがられるなんて心理的なショックもあるだろう*4

なにも、これを持ってして猫馬鹿現象を大目に見てもらおうとかは思わない*5。ただ、猫の様に人にリスクを与えず、八方美人でもない生き方はカッコいいと思わないだろうか。猫好きな人を好きになれなくても猫は好きになれるはず。

*1:犬も好きだよ

*2:少しはした方が良いよ。現実にあるから。

*3:爪が鋭利でない分痛いし直りが悪い

*4:実際さわらせてくれない犬も居る

*5:正直猫好きの自分をアピールなんてのはいいがかりに近いとは思うが。

現状維持という対案

というところで早速閉塞感が漂ってまいりました。

で、批判するなら対案出せということでちょっと考えた。

最近少し盛り上がっている書店の入場料問題ですが、色々なアイディアが提示されて面白いですね。ただ、予め断っておくとここで書く事は書店の入場料の話ではありません。アイディアはアイディアで全然構わないのだけど、議論の上で対案を出せと言いたくなったら気をつけようという事です。

お仕事の現場でも対案無いなら黙ってろ的な風潮が跋扈している昨今だけど、これはケースに寄って正しくも間違いにもなり得る物で、決して黄門様の印籠や錦の御旗のような物ではありません。

まさに今回の書店のケースは良い例なのだけど、現実に入場料や突き出しのような仕組みはかなり難しいと思います。引用元の前半で行き詰まるまでが上手くまとめられている*1のだけど、恐らく客足がおもいっきり遠のくので採算が取れず行き詰まるでしょう。

なにもこれはそういうアイディアを出す事が間違っているという訳ではなく、現状維持も対案になりえるという事です。もっと深く考えて行けば入場料的な売り上げに貢献する物は見つかるかもしれません。難しいかもしれませんが十分にあり得る話です。

ただ、それが今思い浮かばないからといって、それまでの候補を採用する理由にはならないはずです。現状維持は保守的な印象がありますし、事業サイクルが短くなっている昨今では現状維持=死のような論調で語られる事がありますが、多くの場合、文句があるなら対案を出せと言われるシーンは発する人間の立場を保つ為の抑圧です。

ブレインストーミングでは相手の発想を否定しない事が求められます。これは自由な発想を引き出す為に拙速でもいいじゃないか、アウトプットしやすい環境を作ろうという事で理にかなっています。しかし、ブレインストーミングの後には、それを取捨選択したり組み合わせたりして、まずい所を削ったりする作業が必ず入るのです。

ブレインストーミングに習うなら、ブレーンストーミングの後には徹底的にダメな理由だけ探し排除する工程があるのです。対案が無いなら批判をせずに黙ってろと言うのはこの行程を無くす事です。恐ろしいですね。

まぁ、忘年会の余興を何にするかとかそんな事なら対案を求めて言論を封殺するテクニックも大目に見れば良いと思いますが、大抵の場合まともな使われ方をしない言葉です。対案を出せ!なんて臆する事無く言っている人が居たら注意しましょう。

ちなみに、引用元はそういうのとは違います。自分の意見を言いたい人の建前です。こういうのはある種の照れ隠しと同様なので、歓迎しましょう。でも、あなたが照れ隠ししたい時に使う事は奨めません。誤解を広め抑圧の土壌作りを助けるからです。