現状維持という対案

というところで早速閉塞感が漂ってまいりました。

で、批判するなら対案出せということでちょっと考えた。

最近少し盛り上がっている書店の入場料問題ですが、色々なアイディアが提示されて面白いですね。ただ、予め断っておくとここで書く事は書店の入場料の話ではありません。アイディアはアイディアで全然構わないのだけど、議論の上で対案を出せと言いたくなったら気をつけようという事です。

お仕事の現場でも対案無いなら黙ってろ的な風潮が跋扈している昨今だけど、これはケースに寄って正しくも間違いにもなり得る物で、決して黄門様の印籠や錦の御旗のような物ではありません。

まさに今回の書店のケースは良い例なのだけど、現実に入場料や突き出しのような仕組みはかなり難しいと思います。引用元の前半で行き詰まるまでが上手くまとめられている*1のだけど、恐らく客足がおもいっきり遠のくので採算が取れず行き詰まるでしょう。

なにもこれはそういうアイディアを出す事が間違っているという訳ではなく、現状維持も対案になりえるという事です。もっと深く考えて行けば入場料的な売り上げに貢献する物は見つかるかもしれません。難しいかもしれませんが十分にあり得る話です。

ただ、それが今思い浮かばないからといって、それまでの候補を採用する理由にはならないはずです。現状維持は保守的な印象がありますし、事業サイクルが短くなっている昨今では現状維持=死のような論調で語られる事がありますが、多くの場合、文句があるなら対案を出せと言われるシーンは発する人間の立場を保つ為の抑圧です。

ブレインストーミングでは相手の発想を否定しない事が求められます。これは自由な発想を引き出す為に拙速でもいいじゃないか、アウトプットしやすい環境を作ろうという事で理にかなっています。しかし、ブレインストーミングの後には、それを取捨選択したり組み合わせたりして、まずい所を削ったりする作業が必ず入るのです。

ブレインストーミングに習うなら、ブレーンストーミングの後には徹底的にダメな理由だけ探し排除する工程があるのです。対案が無いなら批判をせずに黙ってろと言うのはこの行程を無くす事です。恐ろしいですね。

まぁ、忘年会の余興を何にするかとかそんな事なら対案を求めて言論を封殺するテクニックも大目に見れば良いと思いますが、大抵の場合まともな使われ方をしない言葉です。対案を出せ!なんて臆する事無く言っている人が居たら注意しましょう。

ちなみに、引用元はそういうのとは違います。自分の意見を言いたい人の建前です。こういうのはある種の照れ隠しと同様なので、歓迎しましょう。でも、あなたが照れ隠ししたい時に使う事は奨めません。誤解を広め抑圧の土壌作りを助けるからです。