評価はアウトプットに対して
陰口のエントリーで「評判の良い本人を観察する事ができないので、何処が好かれているかは考える余地もない」と書いたんだけど、実は無くも無い。ちなみに前のエントリーに含めなかったのは別の話だから。なので当然増ダの人の話に当てはまるかどうかは知らないし多いに予断があるはず。
その思い当たる事というのは、人間性を評価しないという事。評価にはもちろん悪い所も含まれるけど、良い所も同様。
だいたい、どの程度の付き合いであるにしろ、人間性を評価して一般化するなんてのは大変おこがましい事だと思う。どれだけ親しい仲でもその人のほんの一部しか知らないわけだし、あるときある行動をとったからといって、次に同じ状況に遭遇した時に同じ行動をとるなんて事がどのぐらいあるだろうか。
互いの評価を本人と話し合ったり、共有するという事はあるかもしれないけど、そこまでがせいぜいだと思う。だれだってレッテル張りなんかされたく無いのだ。それは一見良いとされている評価であったも同じ事。あの人はああいう人だなんて評論されて喜ぶ人がどれだけ居るだろうか。大変窮屈だと思う。そしてこのあたりの認識が甘くて、辞めとけばいいのにステレオタイプに褒めればいいと思ってる人が多く居る様に思う。
人を評価しない事が好かれる理由になるかどうかは分からないけど、人を評価して好かれる人ってのはまず居ないと思うよ。
けなす対象も褒める対象も、アウトプットに対して。これは鉄則だと思っている。