静寂に価値を見いだす

車内では、若者からお年寄りまで携帯電話でおしゃべりしていた。日本には静かに乗車するよう努める暗黙のルールのようなものがあり、電車内で通話すると、他の乗客の冷たい視線を浴びるが、韓国の習慣では問題がない様子。日本でも「せっかく外出時に重宝する道具なのだから、思う存分、通話してもいいのでは」と思った。

コンパス:先月下旬、夏休みを取って韓国に出向いた… /滋賀

必要な連絡を手短にする程度なら電車内でもOK、ぐらいの寛容さは欲しいけど、電車内というのは残念ながら非常にストレスフルなのが現状。世間話なんかをして時間をつぶす様な使い方をするならそんなにぎやかさは不要だと思う。

色々ルールを細かくするのは細かい判定で不満が残るのが必至だし、解釈や判断が主観に寄ってぶれるので、結果さらにストレスを増加させる。分かりやすく電話はダメ。申し訳なさそう&手短になら情けと寛容によって許容されるという現状で良いのではないかと思う。(武士の情けじゃ)

逆にもう大声でしゃべっても、物を売っても、床に座っても皆で許容するというならそれはそれで良いかもしれない。床に座るのがダメで、物を売ってOKって理屈が通らないから。(恣意的な主観を堂々と主張できるのが不思議です)

ただ、奇麗(合理的)に座席を使う、床に座らない、周りに迷惑をかけない、etc…という最低限のルールを保持したいなら公共の場では周りに配慮するという原則を励行するのが最適だと思う。

外国の事は知らないけど、静寂に価値があるという意識が普遍的にありそれを共有する姿勢が顕在しているのはすごく尊い事だと思う。簡単に失われる物なのだから大切にしたいし、静寂に価値を認める社会を誇りたいと私は思う。