トモダチ

それがですね、ぼくは現在友達と言える人はほとんどいないんですよ。
あなたがたにこういう質問をされて、初めて考えましたが、多分友達が必要なのは、自分が確立していないからなんだと思います。まず、自分にやることがあれば、時間がもったいなくて、わざわざ友達に会う為に一時間もかけて学校になんか行きませんよね。それからブラブラ暇そうな友達を見つけて、そこからまたお茶の水なり四谷なり新宿に出かけていき、何をするのでもなくただダベっている訳ですから。ぼくにはもう一生、あんな時間の使い方はできないでしょう。

これすごく良く分かるし、若い人は早めに知った方が良い事の一つだと思う。まず、大人は殆どトモダチが居ない、という事。

学生の頃でも友達付き合いの悪い人てのはいたけど、大抵は何かやりたい事がある人なんだよね。年月が経つにつれリア充なんていわれてるような人間がひどくつまらない人間になっている事が多いのに反して、友達付き合いが悪いなんて言われてた人が一花咲かせていたりする。

それまでの過ごし方というのを考えれば当然なんだよね。一人は複数人で刹那的に過ごしつつみんな(実際は自分の周囲のみ)同じ事してるんだから大丈夫なんて考えているのに対して、もう一人はづっと何かに打ち込んでいるんだもん。これはコミュニケション能力をPRする人の醜さにも繋がるし、文系信仰に繋がったりするんだけど、結局の所、何にでも(友達も)耐用年数がある。蜜月なんてのはピークがある事を示す最たる言葉で、必ず下降線を辿るのね。その時に何が残るか。

こういうのは、結局年を取って後悔と同時にはっきり自覚できる物だから、どうしても若い人には伝わりにくい。勉強しろって言われたって五月蝿くしか聞こえないよね。五月蝿く言わない親がいい親かどうかも年齢に寄って変わってくるよ。

ま、勉強にしても、人付き合いにしても如何に自覚が成果に反映されるかという事。自覚ってのも良く言われるけど、自覚するまで自覚できない事なんだよね。

なんにしても、どんなに努力しても、どんなに良い結果が出ても大抵の事には後悔がつきまとう。それを如何に許容範囲に収めるかってのが一つの賢い生き方だよね。もちろん全部諦めるのも一つの手だしね。それにしても金の欲しい事よ。