子供の手伝い

教育的な観点から子供に手伝いをさせたいと考える事があるんだけど、実際の所子供の手伝いなんてのは足手まといであって、自分で手を動かした方が100%品質も高いし、時間も短く済む。

そんな中で教育の為を思って、お手伝いをしてもらうのであるが、勘所が二つあると考えたので開陳。

手伝いは教育と割り切る

一つ目は。先述の様に子供のお手伝いというのはコストなわけだけど、出来た親と言うのはその辺りのリソースに対して非常に寛容で、手伝いの本質よりも教育としての本質をきちんと見ている。手伝いで得られる人手による作業的コストではなく、作業体験、成功体験による達成感を子供が得られる様にと考えていて、わざわざどんなお手伝いをしてもらうか自分のリソースを使って計画していたりするのである。ここで、品質や速度対する要求が込んでしまいがちである。ここをぐっとこらえて割り切る。効率的なやり方は子供自身に考えてもらう事が大切。実際には好きにやらせて任せるのである。むしろ親が指示を受けて手伝う。

実際子供が成長すれば十分に助けになったりするのだけど、それは本当に何年も後の事。そしてお手伝い体験から子供が何を得るかは親が押し付ける必要は無い。必ず色々あるんだから。(必要な事はやらなきゃ苦労が増すとか、生活の楽しさとか、もちろん技術的な事とかね。)それを子供が言葉でプレゼンできなくても絶対学んでるから、目や耳で分かるフィードバックを期待したりしてはいけない。

親の忍耐

二つ目。忍耐。親の忍耐と辛抱だと思う。先の項目で、計画していると書いたのだけど、それは例えば、普通に切った人参を抜き型(花形とか星形にするって事ね)で成形する、といったような事である。こういった事を考えるのは実はすごく難しい。子供でも出来て、意味のある事。花型にしなくても問題ないと言えばその通りなんだけど、花形になっているという事に意味はある。きれいで楽しいからだ。ただ皿を洗わせたり、食器を拭かせるといった作業をさせてはいけない。まずは楽しく役に立ってもらう。もはやサービス業である。これらの苦労に親が辛抱できず、達成できない。

最後に

他にも、とにかく褒めるとか、感謝するというのもあるんだろうけど、その辺は案外どうでもいいと思う。そういう感情面は自然に任せた方が良い。もちろん品質や成果に対する否定はダメだけど、意図的に褒めたりしなくても、生活の為の作業というのは多大な意味があり面白いからだ。多分、褒めるとか感謝をどうでも良いと思うのは、人が人を評価する事自体が大抵メリットにならないと私が考えているからだと思う。素人のコーチングほど害になる物は無い。

たぶん、無理に褒めてもバレてるししらけさせるだけだよ。