宗教とニセ宗教

問題視している人が沢山いることと私の説明責任の関係はいまいち不明だが、とりあえずそれはおいといて上のコメントについて説明すると、私が「わからん」のは、突き詰めると科学とニセ科学と宗教の違いだ。3つとも同じに見える。要は人間が信じるか信じないかというだけでしょという点において。宗教も科学も、人間にあたかも世の中に客観的な真理があるかのように思わせる手段に過ぎない。

論法としてモヤモヤした物があって興味を持った。

元々ブックマークコメントについていた理屈は理解できないとは思わない。

あんま関係ないけど、ニセ科学のなにがいけないのかさっぱりわからん。本人が信じてればいいんじゃないのか。

これは浮気をするなら最後まで嘘を突き通して欲しいとか、そんなレベルの話で、知らないという事は無いと同じ(もしくは純愛があると同じ)なんだから別に誰も不幸になってないでしょ?という意味で。

ただ、絡まれた後の理屈は理論を補強する為に頼れる考えに頼ってしまい軸がぶれた様に思う。信じるか信じないかの問題であるという所に軸はあるのだけど、科学とニセ科学に宗教を持ってくるというのは、宗教がニセであるとした前提に立たなければいけない。恐らく chnpk さんは信仰心が無いから(勝手な想像で申し訳ないです…)こういう理屈になるんだろうけど、科学とニセ科学があるように、宗教とニセ宗教があるのならニセ宗教はダメなんだと思う(ここはややこしいので断っておくと、宗教はニセじゃないとか、宗教を否定するのは道義としてどうか、とか言いたい訳じゃないよ)。

宗教というある種のタブーを引き合いに出す事で、宗教の真実性を証明させるという難題にすり替えたい気持ちがどこかにあるんじゃないかと思うのだけど、これは chnpk さんの持ち出した例えに過ぎないんであって全然関係ない。突き詰めるのであれば嘘は有りか無しかではないだろうか。

これ(嘘の事)を考察すると、良い嘘と悪い嘘があってだなぁとか、お決まりのパターンになって、悪意のある嘘はダメという事で落ち着くんじゃないだろうか。ニセ科学もそういう路線で言うなら悪意のあるニセ科学はダメってことになる。自重で立てない様なロボットは存在してもOKかな!

おそらくは、冒頭で例た様な「浮気をされてもバレなきゃOK」的なたわいのないコメントなんだろうけど、知られていようがいまいが悪い物は悪いというただの正論に負けたく無かったのかなと思う。元の元記事のコンテキストからするとわかりやすさを重視した騙す方のニセ科学の話だしね。やっぱり酔ってたのかなー。

教訓は隙のあるコメントしちゃダメ、か絡まれてもスルーのどっちか。後者をとりたい。いや、やっぱり隙のあるコメントしまくって、ガチでぶつかるが楽しいかなぁw。