努力信仰にふりまわされない強さを。

2chのスレでもよくある、「上手い人見て凹んで描けなくなった」とかいうやつ。自分も上手い作家さんとか見たりするとああいう気持ちになったり、年下なのに上手いのとか見るとホントへ込むんだけど、どうやら友人はそういうのが無いっぽい。前その辺語ってて判明した

この話を初めに読んだときはへぇとしか思わなかったんだけど、ブックマークコメントがどんどんつくにつれ、やるかやらないかの違いだとか、努力が大事みたいなコメントがちらほらあって大丈夫かいなと今は勝手に心配している。

この話の友人の強みは「好きこそものの上手なれ」であってそれ以上でもそれ以下でもない。自分より絵を上手い人がいても前向きに捉えられるのは、絵のうまい自分では無く、絵を描く事が好きだ(絵が上手くなるのが楽しい)からに違いない。そういう時期ってのはあるし、それが何時まで続くかというのも環境や当事者によって随分違う。

それを上辺だけ真似ても、絵を描くのが苦痛になるだけで大きな成長など望めないだろう。過程を楽しめず結果を求めるのは、恋もせずに恋人が居ないと嘆くのと似た様なもので因果を考えれば当然の事だと思うし、恋人の居る人だってそんなにいつまでもトキメいてはいられない。

それにね、諦めたら試合終了だけど、諦めなかったからといって勝てる訳ではない。 諦めておけばよかったという後悔は目立ちはしないけれど*1、実際は諦めなくて良かった例より何倍も多いのは想像に難く無い。

やらない後悔よりやって後悔した方が良いなんて言われるけど、事の大きさにも寄るけど大抵は奇麗事*2。実際はやった後悔(普通の後悔だけど)は大きい。多分やらない後悔より大きいんじゃないかな。所詮やらない後悔は無いものねだりであって、挑戦してたまたま上手くいっても無くなりはしない感情だと思う。

偉業を成した人は、大抵人の忠告を無視して(もしくは忠告してくれる人が居なかったか)成功したが、失敗した人も人の忠告を無視して失敗している。それが趣味の話なら大した問題ではないかもしれないけど、人生にはなにか一つしか選べないという事がある。その時に諦めなければいつかは…なんて考えるのは本当に怖い事。

というわけで、うまい人を見て萎縮するというのは、努力信仰からのある種の防衛壁になっていて、そんなに悪いものでもないと思うよ。あと、嫌でもやらなきゃいけない事というのはある。努力って言葉がつらい物を指すのであれば、そういう時に使えば十分なんじゃないかな。

おまけ。

伊集院光立川談志のひなつば*3を聞いてショックを受け挫折したという有名(?)な話がある。後日その事を談志師匠に話したら『うまい理屈が見つかったじゃないか、心の奥では結局辞める理由を探していたんだ』と、それを聞かされ伊集院さんは納得してしまうのであった*4

*1:自己否定だしね。

*2:まぁ、良くてステップアップ、悪くて現状維持なのに体面を気にして失敗を恐れるあまり現状維持を選ぶ人が実際にはいるから一概には言えないけど。

*3:http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/2005/03/post_8.html

*4:http://sugimoto-hasegawa.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_85bc.html